北海道浦河町出身。
幼少の頃より「日高の恩人」と呼ばれる生産界の名伯楽、父卯助氏の元で馬に囲まれながら競馬人生をスタート。以来、常に馬と寝食を共にする。
昭和33年、株式会社荻伏牧場に入社し、生産についての基礎を学ぶ。当時より生産者としての相馬眼は他の追随を許さず、キューピット⇒ヤマピット⇒イットー⇒ハギノトップレディ⇒ハギノカムイオー⇒ダイイチルビーと、現在でも華麗なる一族と称される名馬達を生産。同時に、JRAすら首を傾げた時代に、誰よりも早く『育成』に目をつけた人物でもあり、シンザン・マックスビューティ・シャダイカグラ・スーパークリーク・ウイニングチケットら、時代を駆け抜けた名馬を育成した当事者でもある。
昭和57年2月、自らを創始者として、JRA公認の競走馬育成組織、軽種馬育成協会を設立する。当時の日本軽種馬協会の会長は、あの小沢一郎氏。翌年の3 月には日高軽種馬農業共同組合理事に就任。同時に札幌競馬馬主協会理事をも務め上げる。
現在の同ポスト(日本軽種馬協会理事)では、社台グループ代表でもある吉田照哉氏が、オーナーブリーダーとして有名ではあるが、生産から育成までをも一手に担い、自らも馬主となるスタイルを築き上げた第一人者、言わばオーナーブリーダーのパイオニア的存在は、この斉藤隆氏である。