1936年から29年間トップジョッキーとして活躍し、皐月賞(クリヤマト)、桜花賞(トサミツル)、秋の天皇賞(クインナルビー)を含む通算536勝をマーク。
1966年の厩舎開業後は、日本ダービー(サクラチヨノオー)、天皇賞(サクラユタカオー・サクラローレル)などで春秋4勝、有馬記念(サクラローレル)などGI 14勝を含む重賞53勝を挙げ、31年間で5202戦656勝の成績を残した。
競走馬の育成法、相馬眼は厩舎関係者の中でも群を抜く。
騎手として29年間、調教師として31年間、計60年間王道を歩み続け築き上げた実績と人脈は日本競馬界史上最高、最大と言っても過言ではなく、その相馬眼は他の追随を許さない。
勿論、今でもアドバイスを求めにやってくる調教師、騎手、生産者は後を立たず、スポニチ専属評論、JRAのイベントなどでもその幅広く深い見識を求める声は絶大。
境 征勝調教師は実子、小島太調教師は娘婿。あらゆる面で力を持つ日本有数のホースマン。
当社最高顧問に就任後は、「勝太郎先生のところなら」「勝太郎先生の為にも」と進んで協力を申し出る関係者も多数。
又、「情報収集が断然し易くなった」と当社の若手情報ルートも驚く程。影響力は当社の予想を越えて絶大。